japan-beta.gif

厚塗り短歌 ATUNURI TANKA

イラストレーター・画家 Rokuburuteの雑記帖

2008.08.11

生ましめんかな

今メディアは、北京オリンピックの話題で持ち切りですね。
普段、あまりスポーツに興味はないのですが
やはり、日本選手の活躍は、テレビに見入って応援してしまいます。



しかし、、、
毎年、この時期に考えさせられる事は、長崎、広島の原爆投下、
そして終戦の事です。

「生ましめんかな」という詩を御存知でしょうか?
広島の詩人、栗原貞子さんの詩です。


沢山の原爆負傷者がうずめく血臭、死臭のする
壊れたビルの地下室で、妊婦が産気づいている。
するとさっきまで血まみれで、うめいていた重傷者が近づき
「私が産婆です。私が生ませましょう」といい
赤ん坊は無事、生まれた。
しかし、、、、と同時にその産婆は血まみれのまま息を引き取った。


といった内容の詩です。



そんな自分の命が危うい状態にもかかわらず、その重傷の産婆さんの言葉から
感じ取れる間適さと綽然さは、人間を超えたなにかに思えてならない。
きっと人間っていうのは生死を争う極限状態の中にあった時、とても大きなエネルギーの
ようなものを発するのでしょう。
感動で初めて読んだ時には、涙がでた。


私は、大学院時代の研究の関係で、体系的に時代を把握する為、
20世紀の社会学や人文学、心理学、哲学などの本を
読みあさっていた時期がありました。
そんな折、以前京都精華大学の教授でもあった
日高六郎氏の『戦後思想を考える』(岩波新書 1980年)を読んでいた時
その中に、この「生ましめんかな」の詩が引用されていたのです。

驚いた事にこのお話は実話で、栗原貞子さんは、この話を人づてに聞いて詩にしたそうです。



今も世界では、戦争や紛争が起こっていて、沢山の人々が命を落としている。
私も含めて日本人は、そんな事実にもう少し耳を傾けるべきだと思うし、
私自身もっと世界のいろんな事に多数の視点から「知る」「考える」という努力をしていきたい。



戦後思想を考える (1980年) (岩波新書)戦後思想を考える (1980年) (岩波新書)
(1980/12)
日高 六郎

商品詳細を見る
2008.08.05

「放浪記」ふたたび

放浪記 (新潮文庫)放浪記 (新潮文庫)
(1979/09)
林 芙美子

商品詳細を見る



今、林芙美子の「放浪記」を再読している。
やはり、実際の経験、またその感情を有した事のある人間でしか表現する事の出来ない
であろう生々しい文章は、心にズシンと感動を与えてくれる。

時にはそのどん底の苦しみから生じる無感覚で殺伐とした乾いた感情を吐き捨てるかのように
世間や自分を蔑みながらも(それが“小説的ではなく”、、、とても人間的だ!!)
絶対に「負けるものか!」「諦めるな!」という
彼女の内部にある強靭な心はいつも健在でいる。

例えば文章の表現そのものが、表面的に曖昧な単語の羅列や台詞であったとしても
彼女の中で構築されて来た強い意志は、地に足をしっかりとつけ、
じっと佇んでいる石仏のように
芯の一本通ったとてつもなく美しい姿が伺える。

一般の“物語“によくある綺麗事という偽善なものは一切書かず、
芙美子は一貫して(勿論、芙美子自身もふくめ)人間の狡さ、残酷さ、
そして優しさと愛を真正面から正直に描写している。


まず己について、そして世間についての自分の正直な心情を吐露することは、
芸術創作にとって不可欠だと思うが、ここまで自分と向き合っている
作家というものは、なかなかいないのではないかと思う。

なぜなら、すべてを正直に吐露し表現すると、この世の中で
生きていくには、あまりにもリスクが大きすぎるから。

ピカピカと光った名声や富なぞ捨てて、最悪、孤独になるのを覚悟し、それに耐えうる
だけの自身の哲学と芸術表現を持っているものしか、それはできないような気がする。

偉大な芸術家が生涯名声や富を手に入れず、孤独な人が多いのは
そんな理由もあるのだと思う。
2008.04.05

『ユルスナールの靴』

今、須賀敦子さんのエッセイ『ユルスナールの靴』を読んでいます。

彼女の渡欧時に受けた精神性と総括的なたましいという感覚の違いの
箇所が印象深かった。
それは、フランスとイタリアの大寺院の違い、、、というものから
始まっています。
フランスのシャルトルもノートルダムも彼女にとっては精神性に支えられていると
感じ、それにどこかうるさく感じていたのだという。
しかし、イタリアのミラノの大聖堂は、内部の緊張感が
外のカタチを支えていない、、、と。
つまり「精神」ではなく、総括的な「たましい」があると
信じて、彼女はイタリアを選んだのだといいます。

女性発のアカデミー・フランセーズでもあるマルグリット・ユルスナール。
彼女の歴史に対する視点は、「歴史を過去だけに閉じ込めてしまわない」ことだと
須賀敦子さんは書いている。
かつては黄水仙の咲きみだれた野、商人宿の栄えた街の風景が
現代の工業の発展により変わり果てた姿となった過程というものを見つめて、
現代社会の問題の危機を思索する、、、と。

「みつかった?」
「何を?」
「永遠を」

という会話に深い印象を持ち続けていたのは
ちょうど10年程まえにみたゴダールの映画。

とても端的だけれど、そこにはさらりとした会話という
扱いで流せない深い意味、、、いや、総括的な「たましい」という
感情が隠されているよいうことに今となって自分で納得した。

『何を?永遠を』はマルグリット・ユルスナールの未完で
終わった自伝の第三部、と知ったのは、それから随分あとの事。


ユルスナールの靴―須賀敦子コレクション (白水uブックス―エッセイの小径)ユルスナールの靴―須賀敦子コレクション (白水uブックス―エッセイの小径)
(2001/11)
須賀 敦子

商品詳細を見る
2008.02.28

格言の花束

いつかの古本市で購入した
堀秀彦氏の「格言の花束」。
なにかに躓いた時に
と思い漠然と手に取っていました。


はしがきの堀氏の文章には
「判断は諸君の思考」と書かれていた。
ズシリと重い言葉だ。

この本は世界の偉人たちの格言が収録されているわけだが
そうした沢山の言葉や文章は、間違いなく相反しているものであったり
矛盾しているものも沢山あるわけだ。
言葉と言葉は衝突し相戦う。
まず必要なのは読者の判断だ。

ここで、私の好きな言葉を二編。


    
夜には数千の星またたけど
昼にかがやくはひとつの太陽のみ
しかも、太陽の没するとき
世界の光明もまた消える

理性には数千の眼またたけど
心にかがやくはひとつのラヴのみ
しかも、ラヴのおわるとき
生活の光明もまた消える

          ボーディロン



けだし自由というものは、中味の多い滋養豊富な
食物、あるいは強くて良い葡萄酒のようなものであって
そういう飲食物はそれに慣れている丈夫な体質を養い
強めるに適しているけれど、そういうものには合わない
繊弱な体質にたいしては、これを圧しほろぼし、
酔いつぶしてしまう。

                  ソロー



※ボーディロン・・・英、学者、詩人
※ソロー・・・米、思想家
2008.02.08

ゴールデンバット

今、常磐新平氏の「熱い焙じ茶」を読んでいます。
彼の作品で有名なのは87年に直木賞を受賞した「遠いアメリカ」。
常磐氏は、翻訳家であり、エッセイストであり、そしてなんといっても
マフィア研究家で有名です。
私のなかで、以前は、なにかとっつきにくい作家さんの部類に
含まれていたのだけれども、ある日彼の本を手に取り目次を見て
その印象はゴタゴタと崩れ去り、彼の印象を一変させた。

その本というのがこの「熱い焙じ茶」。

200802101739000.jpg


何事も感覚直感で選択してしまう私の脳みそが
その装丁と題名、目次を見てピピピと反応しました。

レコードのジャケ買のようなものですね。

さてその魅力的な目次とは、、、
・二冊の古い手帖から
・学生のころ
・煙草の記憶
・一九六〇年代とびとび
・わたしの銀座風景
・神田神保町界隈
・山の上ホテル物語
・日曜日鮨屋で
・小さな喫茶店
・ただ好奇心で
・熱い焙じ茶
・本とのつきあい
・パリに別れを

などなど、、、。

こんな魅惑的な文字が飛び交う目次を見て
読まないわけにはいきません!

さて、その中で煙草の記憶というエッセイがあります。
煙草の規制が厳しくなってきている昨今
、、、煙草を辞める方も増えてきています。
私は、全く煙草は吸えないのですし、
マナーの悪い人の煙草も大嫌いです。

しかし、それとは裏腹、煙草の似合う女になりたい
と思う自分が居るのも事実。
私の煙草にたいする憧れというものは、煙草そのものでなく
魅力的な人間が煙草を吸う時にしか現れない、簡単に言えば
煙草というものによって最大限に引き出される美しさのようなもの
なのかもしれません。
何か物思いに耽っている時や
物憂い時に静かに一人で煙草を吸っている人というのは
なんだかとても美しく見えるのです。
とても詩的というか、言葉では説明しにくいのですが
これも感覚的なものです。

あと恋人の吸う姿は格別良いですね。

さて、話は戻って、このエッセイに出てくるのが
ゴールデンバット。明治39年に生まれた煙草です。
ゴールデンバット
パッケージのデザインにまず目がいってしまいますし、
ラム酒の香りというのにも引かれます。

常磐氏のエッセイには、学校の担任の先生に
ゴールデンバットを買って来てくれと10銭を渡され
買いに行った思い出が書かれている。

今の時代こんな事をしたらこの先生はクビ、、、だろう。
そんな事を思いながら、もし私が煙草を吸うなら、、、
ゴールデンバットかホープピースわかば、、、がいいな。なんて
吸う勇気もないくせに下らない空想に浸っていたのでした。